
Albert Besnard “In the Embers”
『彼は、演劇の持つ不潔な強烈さに、われを忘れた。まるで、世界を、新しい眼で、見なおしたような気持がした。そして、この世界のことも、彼は、切に知りたく思った。芝居がはねると、彼は、酒場へ寄って、ヘイウォードと一緒に、明るい興奮の中に座り、サンドウィッチを食い、ビールを飲んだ。まわりには、数人ずつ学生たちが集まって、賑やかに談笑しており、またあちこちには、両親、それに息子娘たちを交えた一家団欒があり、時々、娘が、なにか辛辣なことをいうと、父親は、椅子に反り返って、大きく、朗らかに笑う。楽しい、無邪気な風景だった。空気全体に楽しい親密さが溢れていた。だが、それには、フィリップは、無関心だった。彼の心は、ひたすら、今見てきたばかりの芝居の上を、さまよっていた。
「ねえ、君、これこそ人生だとは、思わないかね?」彼は、興奮していった。「僕は、もうこれ以上長く、こんなところに、グズグズしちゃいられないように思う。ロンドンへ帰って、ほんとうに人生の蒔き直しやってみたい。いろんな経験が、してみたいのだ。人生の準備には、もううんざりした。今こそ、生きてみたいのだ。」』
『人間の絆』(サマセット・モーム)
