政府から通販がんばりましょう宣言が出て早ひと月以上が経過した。Fuzz を知っていただいている諸兄に広く通販を利用してもらうため、いくつかの試みを実行し、普段よりも多くのエネルギーを注いできたわけだが、もう一つ大事なことがあった。オンラインショップという意味では、『誰から買っているか』 という販売者の顔がお客さまに分かることが大切だと、15年くらい前に買った通販サイト運営必勝本に書いてあったことを思い出した。
そういう意味での、急な顔出しだ。普段は何らか帽子をかぶって眼鏡をかけて、今ではマスクをしていて、もはや覆面になってしまっているため、全部取っての素顔である。店頭でお会いしている諸兄からしても、誰すか?ではないかと思う。
三沢光晴がタイガーマスクの覆面を脱いだ時のような盛り上がりを期待しているわけではない。eastern youth 風に言えば、『闘いの決意さ』 というところの、いわば覚悟の表れでもある。
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通頑宣の後、ほどなくして政府は、国民全員に対して、服や靴を購入するための給付金10万円の支給を決定したらしい。たいしたものである。
昭和生まれ、多感な青春時代を90年代後半のバブルの焼け野原ですごした私としては、ガッツのある政治家というのは、いかに地元に公共事業を引っ張ってくるかということに尽きるのだが、どうやら今の政治家はそれだけではいけないらしい。このような状況にかかわらず、給付金に代わってお魚券やお肉券を配ろうと言い出すなんて、、まったくなんてガッツなんだ!と思わずにはいられない。誰が自分のお客さまかを完全に理解しておられる。
冗談はさておこう。こういう状況下において、つい先日は大手アパレルのレナウンが倒れるというニュースが飛び込んだ。業界的には寝耳に水というわけでもないようだが、ある種のインパクトとしては充分なニュースである。こういうシビアでハードな状況では、大手も小手もない。生き残るか否かは、ガッツのあるなしでもなく、センスのあるなしでもなく、こうなるまでの時間に積み上げてきたものが問われているように思う。今日明日でなんとかできるほど、この状況は甘くない。
そういった意味で、私と小底で歩んできたこの十数年の間に、頼もしい味方がたくさんできているということを知るに至り、感慨無量、勇気100倍という次第なのである。
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せっかくだから我々のことを少し話そう。
昭和生まれの団塊ジュニア、いわゆるロストジェネレーション、ロスジェネ世代というらしいが、90年代後期の混沌の中で感性を鍛えた。当時はバブル崩壊の後の不景気と位置づけられていて、だからこそカルチャーシーンとしてはなかなか独特なものがあったように思う。バブルのイケイケな雰囲気と対照的に、シニカルでやや毒気のある雰囲気が、あらゆるシーンの根底に広がっていたような、後になってみるとそんな気がする。
20年以上も前なので記憶も曖昧になっているのだが、ファッションの分野では、裏原ストリートスタイルが急激に力をつけて、かといって古着ファッションも衰えず、ヴィンテージデニムのブームから、プレミアムジーンズのブランドも次々と興り、ポール・スミスやアニエス・ベーなどのヨーロッパブランドも元気、ビームス、アローズ、シップスも元気で、ジャーナル・スタンダードもこの頃にできて一気に力をつけたように記憶している。
情報収集のツールもファッション誌と情報誌がメインであり、健気な若者は自分の脚を使い、街をうろつくしかなかった。
映画では、ミニシアター系と呼ばれたアーティスティックなものが多数上映され、どんなに分かりにくくても、ファショニスタなら並んでも観なければいけないという厳しい風潮があったものだ。
音楽はインディーズや洋楽を聴き、映画はなるべくお洒落でわかりにくいものを観る。タフなファショニスタはいつの時代も変わらないのである。
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私と小底は大学のゼミの同期だ。そこは管理会計のゼミで、原価計算を専門とする先生が主催するゼミであった。大量生産を前提としたメーカーが、いかに精密に、いかに効率的に原価計算を行うかということを主に研究していたわけだが、私と小底が卒論に選んだテーマは、いかに新しい世の中で大量生産が終わっているか、ということだった。多品種少量生産の時代に、管理会計が貢献すべきことは何か、という反逆的なテーマで卒論を書き、懐の深いゼミのボスは我々の功績を半笑いで称えてくれたことを覚えている。
在学中は下北沢と原宿で古着を買い、渋谷、代官山で現行の服を買い、新宿ではレコードを買い、ラーメンを食べ、酒を飲み、映画を観た。
私も小底も大学4年の11月になんとか内定をもらって、卒業後はサラリーマン生活に入る。しかしそれも2年でギブアップして、小さな古着屋を始めようと決めるのである。
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と、長くなってきたのでこのへんにしておこう。お店をはじめてからの話は見ての通りとも言えるし、おもしろく話せそうならまた別の機会に話そう。
こんな人がやっているお店です、ということをたまには表明しておこうというだけの意図で、深い意味はまったくない文章である。興味本位の楽しさでもひと欠片あればこれ幸い。問題は15年前に本に書いてあったことが、今の常識では違っていて、販売者はなるべく顔を出さずに黙っているべしというふうになっていないか、そうでないことを祈るばかりだ。
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みなさん、どうぞ心も身体も、お健やかに。
今後も宜しくお願い申し上げます。
友へ、店主より