Another cup of tea.

Michelangelo Buonarroti : Studi per la Sibilla libica

 

『朝は60キロあるローラーを牽きながら走り込む。日中は出稽古して回り、深夜になると裸になって庭の大石を抱え上げて筋肉を鍛え、さらに30キロの槌を両手に持ってぶんぶん振り回した。それが終わると、今度は御茶の葉を噛んでその苦みで自身を奮い立たせ、うなり声を上げて大木に体当たりを繰り返す。そして仕上げはその大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込み(投げ技のフォームを固めるためにフルパワーで投げる寸前まで技に入る柔道の練習法。通常二人一組になって人間相手に行う)である。
極限まで稽古すると隠されていた潜在能力が湧き出してきて再び立ち上がることができる―-。これを牛島は「生の極限は死」「死の極限は生」であるとし、死の極限を乗り越えた先の生、すなわち「死の極限は生」を武道家の理想の境地とした。
試合の前夜にはスッポンの肉を食して血をすすり、当日はマムシの粉を口に含んで試合場に上がる。
そして開始の合図と同時に突進して、マムシの臭い撒き散らしながら相手に躍りかかった。内股と背負い投げを得意としたが、本当の武器は寝技だった。』

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 増田 俊也

 

Another cup of tea.


Vanitas : Harmen Steenwijck

 

『道理の分かる人はみんな知っていることですが、魂を悩ます感情の中で、虚栄心ほど破壊的で、普遍的で、根深いものはありません。そして虚栄心の力を否定するものがあるとすれば、それは虚栄心しかない。愛以上に破壊的です。
年を重ねれば、ありがたいことに、愛の恐怖も愛の枷も指を鳴らせば消えてしまいます。しかし虚栄心の鎖から自由になることはできません。愛の傷みは時で癒すことができますが、傷ついて痛む虚栄心を癒すことができるのは死のみです。
愛は単純ですから、みるがままです。それにひきかえ、虚栄心は百もの偽装で人を欺きます。そのうえ、多かれ少なかれ、あらゆる美徳にこれがふくまれているのです。
勇気の推進力であり、野心の活力であり、愛する者に誠実さを、ストイックな者に忍耐を与え、名声を求める芸術家の炎に油を注ぎ、正直者の高潔さを支え、それに代償を与えます。謙虚な聖者の心のなかでも、シニカルに笑っているのが虚栄心です。
これから逃れられる者はいません。防ごうと苦労すれば、その労苦に付けこんで人をつまずかせる。虚栄心の攻撃には打つ手がない。どこを打ってくるかがわからないのですから。誠実さもその罠から逃れる道具にはならない、ユーモアもその嘲りを防ぐ盾にはなりません』

『英国諜報員アシェンデン』(サマセット・モーム)